〝訪問看護師〟は親の介護に役立っているのか?~後編~

在宅介護

 ごきげんよう!きいです。

 訪問看護師はスタッフ同士のライフイベントのサポートが素晴らしいというお話のつづきです。

 私のように親を介護しながら仕事を続けるスタッフに対しても協力的で、非常に助かっています。そのおかげで私は今も介護離職をしないで済んでいます。

声に出して!

 ただそれでも、声に出さないと理解も協力も得にくくなります。

 子育てについては「そんなこともあるよね。大変だよね。いいこと聞いた、参考にしよう!」と共感も得やすいし、みんな経験していたり、これからの参考にしたいと思っている事なので情報交換も盛んで寛容の度合いも高くなります。

 親の介護についてはみんなが日頃の訪問で目の当たりにしているので理解は得やすいと思いますが、自分のこととしては、未体験のスタッフが殆ど。

 そのためか「そんなことがあるんですね。大変なんですね」と、育児よりは若干共感が得にくい印象があります。これからの参考にしたい度合いも、子育てと比較すると断然低くなってきます。

 でも、これは仕方が無いこと。仲間たちは私よりも年下が多く、親の介護は〝これから〟なのです。仕事上でどんなに介護する家族と接していても、自分がそこに身を置くのとはまるで違います。

 実は〝今現在、介護をしながら仕事を続けている皆さん〟が、もちろん私も含めてですが、〝親の介護のパイオニア〟として、職場内の理解を得るための道を切り開いていかなければいけないのかもしれません。

 その〝親の介護をしながら仕事を続けることについて、パイオニアとして声を上げる〟ということが、〝介護の愚痴〟や〝悪い印象を与える行為〟にならないように注意が必要です。

 自分が声を出して状況を伝えることが、職場の雰囲気を悪くしてしまわないように。親の介護に対してマイナスのイメージを与えないように、私も気を使っています。

では、どんなふうに伝えるか?

 私がよくやる方法は、認知症の利用者様の訪問時の情報共有の際に「うちの母も、そうゆうことをよくやるんだよね~。それは症状だから対策を講じないとね」とか「うちもそんなことがあったけど、こういう対処をしたら良かったよ。今度〇〇様へ提案できないかな?」とか…。

 利用者様のご家族がお困りの様子であれば「そんな時、確かに家族は困るよね。それが続くときっと辛いよね」等の〝アドバイス〟という形や〝ご家族の気持ちを代弁する発言〟で自分自身の状況をさりげなく(?)発信するようにしています。

 でも中には私の様子を見て「眠れてる?」と聞いてくる鋭い仲間(その仲間も親の介護中です)がいたりして。

 強がりが通用しない日もやっぱりあるようです。そんな時は素直に「夜中の3時に出かけようとするんだもん…。家に帰るとか言っちゃってさ…」と本音をポロリ…。

 本当のことを言うと、私は介護離職を何度も考えたことがあります。

 寝不足が続いて、朝起きる時に「ああ、もうどうでもいいや…」と思ったこともあります。

 しかしこれは…本当にどうでもよかったわけではなく、すべてを投げ出してしまいたいという気持ちが、そういう言葉で頭をよぎっただけなんだと自分でもわかっています。

 面白いなと思うのが、介護離職を考える現実もある中で、仕事が気分転換になっていることも事実。利用者様と接している時間が、私を母の介護から解放してくれているという現実もあるのです。

 だから仕事を続けられるとか、やりがいを感じるとか、看護って素晴らしい…という言葉が自分から絞り出せない日でも、とりあえずのどが乾いたら水を飲む。お腹がすいたら何かを食べ、尿意を感じたらトイレに行くために立ち上がり、歩く。そんなことの積み重ねで今まで何とかやって来ました。

 そして発見。人間は〝何かを食べる〟のレベルから浮上して「あれ食べたい、これ食べたい」という欲が出てきたら、それは元気になってきた証拠なんですね。

 欲があって、おいしいものを手に入れて「ああ、美味しいなぁ」と思えたら大丈夫。

 ああ、そんな私の在宅介護の明日はどっちだ?

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