まりぃさんは、どうやら〝見当識障害〟という症状が強いようです。
今を、自分が若かった頃と勘違いして現実とのギャップに混乱したり、朝・昼・夜の区別もつかなくなってしまう時もあります。夜中の3時を午後の3時と間違えて買い物に出かけようとすることもあります。
<まずは母の紹介をさせて下さい。>でまりぃさんをご紹介したように、〝「家に帰って、ちびちゃんにご飯を食べさせてあげないと!」と過去に住んでいた家に帰ろうとして、自宅を抜け出そうとする〟といったことが起こります。
そんなまりぃさんの状態を、アルツハイマー型認知症の症状を、上手く説明できないけれど私が感じたイメージとしてまとめてみました。
私の〝イメージ〟
人の〝過去の記憶〟や〝未来を予測すること〟を鉄道のレールで例えてみます。
私の場合は、自分が走ってきたレールが足元にあって、後方にまでずっと続いているのが見える。これが私の過去。前を向けば自分が進むべき進路が続いているのがわかる。これが私の未来。レールにはたくさんの枕木が付いている。それは様々なエピソード。あんなことがあった、こんなこともあった。だから今後もきっと私はこうするだろう…。それが繋がっている。
だけど、まりぃさんの足元には、バラバラになったレールや枕木が散らばっているだけ。これは、いつの出来事?なにがあったんだっけ?破片だけ見てもわからない…。
見栄えの良いステキなレールの破片を見つけて、そこにぴったりだと思う枕木をくっつけてみたら、そこに見えるのは、県庁にお勤めで書類を抱えて階段を駆け上がっていた頃の20歳代のまりぃさんの姿。そしてある時は、30歳代のレールの上で〝白髪の自分〟という枕木を見つけてしまってびっくり!
どうやら認知症ってそんな病気ではないのかな…と思うのです。
母への接し方
だから私は、まりぃさんがへんてこな枕木を見つけて素っ頓狂な発言をしても、へんてこなレールの上に乗ったまま、いきなり現実に直面した時に驚きの声を上げても、自分や家族に大したダメージが無いのであれば、右から左へ受け流す。今はそういう対処を心掛けるようにしています。
まりぃさんの機嫌が悪くならなければ、言葉を受け流してもいい。真に受けなくていい。
見せなくても良いものは見せない。聞かせたくないことは聞かせなくてもいい。
まりぃさんが忘れてしまった事を、無理に思い出させようとしなくてもいい。
その方が実はまりぃさんが混乱せず私も楽なんだ、と学ぶのにもかなり時間がかかりました。
今までは人に対して真剣に向き合うことが求められてきたものですから。子供のころから、そうあるようにと教えられてきましたし。どうやら、認知症の方と上手く付き合うためには、今までの常識を覆すことも必要になるようです。
ただし、注意も必要。言葉を受け流したり、聞かせたくないことは聞かせない、なんていう時にも、〝馬鹿にしてはいない〟〝無視はしていない〟〝あなたのことを軽んじてはいない〟という気持ちを込めて。
それも私が心がける母への接し方なのです。
だって認知症になるまでは、家庭を支えて来た普通の母だったのですから。