ごきげんよう。きいです。
ずっと前から「家族を介護する人が、どれだけ辛く大変な思いをしているのか」を、人に客観的に伝えるための方法って何かないかな…と考えていました。
それができれば、介護離職の予防やビジネスケアラー・ヤングケアラー・それ以外のケアラーの負担軽減の何か役に立つのではないか?そう思ったんです。
私は過去に、ある施設で働いていた時に、看護師の業務量を客観視するためという目的で〝タイムスケジュールを書き出した経験〟があります。
当時その施設で勤務していた看護師全員が調査対象でした。
出勤してから申し送りに何分、子供たちの登校送迎準備に何分、送迎自体に何分、子供たち何人分の排泄介助に何分、レクリエーションに何分、食事介助に何分…という風に、やったことすべてを分単位で書き出すのです。
看護師は皆、大ブーイングをしました。
「ただでさえ忙しいのに!」「そんなことをしている時間がもったいない!」
それでも、やったんです。自分たちのために。
そして私は「家族を介護する大変さ」をタイムスケジュールで書き出したらどうなるだろう?と、過去に何度も考え、記事にしようと思いました。
その記事はしばらく白紙のままで、少し書いては訂正し、結局完成しませんでした。
その理由は、「業務」より複雑で、いわゆる「名もない家事ならぬ、〝名もない介護ケア〟」が多すぎて、特に認知症介護の場合「要介護者の状況に振り回される」という不安定さがあって。
「自分で食事も着替えもできるし、排泄だって失敗しない。家でおとなしくTVを見ている平和な日のケア量」と、「夜中から家を出ようとし、同じ話を何度も繰り返し、トイレを水浸しにし、汚したオムツを隠し、入浴や更衣を拒否する日のケア量」は全然違う。
デイサービスやショートステイ、ヘルパー支援を利用してもケア量は違う。
同じ人物へのケアなのに。
だからタイムスケジュールでケア量を明らかにするということはできませんでした。
じゃあ、どんなふうに大変なのかを少しでもイメージするには?
何があれば、ケアラーの支援になるのか?
それを考えるためのヒントは?

先ずは「ケアの量にかかわらず、ケアラーには常に重い負担感がある」という事実があるということ。それを知ることから始めたい。
・いつも安心して熟睡できない(起こされる・夜間の徘徊や排泄の失敗が心配・夜間の体位交換や排泄介助などのケアがある)
・自分の時間がない。「休日」があっても自分のための休日ではない。
・常に要介護者の状況が気になり、仕事や勉強に集中できない。
・生活の中心が要介護者になりがち。
・経済的負担と不安が大きい。
・要介護者と同居をしていない場合は「移動」に時間・金額・体力・気力を費やさなければいけないこと。
・緊急時や事故発生時の対応など、責任の重い判断を強いられることがある。
・介護に疲弊すると、精神的にも影響を受けるリスクがある。
・介護の中で「悔しさ・悲しみ・いらだち・怒り・嫉妬・自分の無力感・要介護者や周囲への憎しみ」など、負の感情と向き合う場面がある。
今、書いていて気が付いたのですが。
これ、「介護だけ」ですからね。
ケアラーは「これだけの介護の負担」を抱えながら、「仕事」「勉強」「育児」「家族の生活維持」「自分の健康保持」も同時進行しないといけない。
その事実を、ケアラーの支援を考える人には知ってほしい。
やはり介護は一人でしてはいけないことだと思いました。
