ごきげんよう。きいです。
最近訪問をした利用者様のCさん。
80後半のお歳で疾患もありますが、見た目はたいそうお若く、お元気そうです。
そのCさん。最近物忘れがとても、とっても、とーっても!気になって仕方がないのだそう。
看護師からみたところでは「年齢相当」だと思うのですが…。
Cさんは「予防できるのならば、何とかして認知症を防ぎたいものだ」と考え、レカネマブをもらうために、自分で調べて認知症基幹病院である大学病院を受診しました。
そして検査や診察を受けた結果「認知症ではない」と診断されてしまい、レカネマブは処方してもらえませんでした。
レカネマブは、とても高額なお薬です。
3割負担の方で、年間90万円ほどかかります。
薬価は11万円を超えます。
処方にも条件があり、初期・軽度の認知症の方が対象で、「認知症ではない方」や「中等度以上の認知症の方」は対象外になります。
Cさん…。認知症の予防薬が欲しかったのに、せっかく大学病院まで行ったのに希望が叶わなかったと、とても残念そうです。
「きいさん、看護師さんでも何とかできませんかね?」
そう相談されてしまいました。
本当は「認知症ではなくて良かったですね」と言いたいところですが。
希望が叶わなかった悔しさの中、看護師ならどうにかできないか?とのご相談です。
「申し訳ありませんが、認知症専門の医師の診断結果を、私個人の力では覆すことはできません」「病気ではない方には、誰も治療薬を処方することができないんです」とお伝えしたところ、残念そうではありますが、納得していただくことができました。
「いい薬があるというのに、自分が認知症ではないばかりに手に入れることができない。」
私、Cさんの残念さがわかるような気がします。
それだけ、認知症になることや物忘れがひどくなることが怖いのだと思うのです。
できなくなったことばかりに注目せず、「まだできる」に注目できるように支援したいところですが。
いくら「まだできる」と言っても、比較対象が「一番輝かしい時代の自分」だったら…。
相手が悪すぎます。
「一番輝かしい時代の自分」を比較対象にするのは、「今の自分」を否定してしまい良くないような気がします。
憂鬱は、認知症に近づいていくきっかけになるような気もします。
認知症の予防には「今の自分を認めて、今を楽しむ」ということが大切な気がしました。
