まりぃさんに会って来た。

母の介護

 ごきげんよう。きいです。

 今日もまりいさんのヒアリングに、特養Nへ行って来ました。

 そして今回は…。

 まりぃさん…。私の事、全く分からなくなっていた。

 とうとう来たか。この時が。

全然わからん

 私の名前を言っても。

「一瞬だけ良いですよ」と許可を得て、外したマスクの中の顔を凝視した後も。

「全然わからん」

 だけど不思議。全然悲しくなかった。

 まりぃさんは、私のことを誰だと思っているんだろう?

 目の前に座って、うんうんと話を聞いている人?

 特養Nのスタッフの一人だと思っている?

 誰か外部の人だと思っている?

 「『どこの人?』とすら、考えもしていない」そう感じました。

 一つ話題を振れば、それに対しての自分の考えを繰り返し繰り返し話し続ける。
 また違う話題を振れば、さっき話していたことはコロッと忘れて、新しい話題について延々と話す。
 それも、疲れるまで話し続ける。

 まあ、いいや。

「自分に危害を与える人」でもなく。
「私をこんなところに閉じ込める人」でもなく。
「私のお金が無いのは、この人のせい」と指さされることもなく。

 私は今、そんな立ち位置にいるみたいです。

 のんさんと「この何回かの面談、まりぃさんが泣かない」それを共有しました。

 あと、まりいさんの話の中の「家(うち)」という場所が、まりいさんの生家ではなく、大阪の団地でもなく、認知症を発症した時に住んでいた家でもなく、私と一緒に住んだマンションの一室でもなく、「特養N」を指していることも共有しました。

 まりぃさんは今、特養Nでご機嫌で過ごしている。

 お友達もいる。

 そこには私みたいに「外に出てはいけない」とベビーゲートを付ける人も、一人寂しくお弁当を食べて「どかだかわからない場所」で「いつ帰って来るかもわからない家族」を待ち続ける不安も無いんだろうな。

 それが分かれば…それでいいや。

 「私がどう思うか」ではなく「まりぃさんがこれから生きていく世界に不安がない」。

 そっちの方が大事。

いよいよ

 いよいよしゃべり疲れたまりぃさんは皆さんのもとへ…という時に、立ち会って下さったスタッフさんから声を掛けられました。

「この後、少しお時間を頂いても良いですか?」
「長期入所についての説明をさせて下さい」

おおお?いよいよ…ですか?

いよいよ正式に入所できることになったのですね?


と言う事で…<つづく>

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