ごきげんよう。きいです。
今も…ずっと…私が勤めるステーションでは、認知症や高齢者虐待の予防について、「何ができるか?何が必要なのか?」と勉強会等の取り組みをしています。
皆さんもどこかで耳にしたことがあると思います。
「ベッド柵を4か所設置して、自由な動きを制限したら虐待」
「オムツ外しをしてしまう人につなぎのパジャマを着せたら虐待」
「身体を掻いたり、ドレーン抜去を防ぐためにミトン等をつけたら虐待」
「車椅子から自由に降りられないように、腰ベルトや車椅子テーブルなどで抑制をしたら虐待」
「自由に出入りができないように、本人が開けられないような鍵を設置すると虐待」
私が病院や施設で勤務していた時。
患者様の安全を守るために行われていたことばかりです。
ベッドからの転落で受傷。
排泄物をベッドや病室の壁に塗りたくられ、他の患者様から大クレーム!
車椅子から降ろすと、近くにいる子の身体を噛んでしまう子。
胃ろうからの注入中に管を外してしまい、全身からベッドまでが栄養剤まみれ。
帰宅願望が強く、看護師の目を盗んで病棟を出ようとする人々。
まあ、時と場合に寄りますが。
その時、その他に方法が無く、どう考えてもそれが個人を守るために仕方がない方法だった…ということなんです。
以前は、それをみんなが心得ていたはず。
今は、「これは虐待ではありません」ということを証明するために、難しい手続きがいっぱいになりました。
家族が入院するたびに、「必要時には安全を守るために、そのようなことを行うことになるかもしれません」という書類を渡され、サインが必要になります。
ただでさえ、入院する時ってバタバタで、たくさんの書類にサインが必要なのに。
それが「在宅」の話になったら。
「いつも必要時」になってしまうような気がします。
家族がベッドから落ちたら、大変なことになるのは分かっていて。
排泄物をあちこちに付けられたら、本人・周囲の汚れたものをきれいにして、臭いに悩まされ、心が折れそうになって。
栄養剤まみれどころか、管が抜かれたら救急搬送になって。
家から出たら「行方不明」に。
それを避けるために必要なんだということを、支援者も周知することが大きな虐待防止になるような気がして。
それを超えたところ(虐待と言われることを行わずに頑張ろうとした結果)に、「虐待」を生み出す現実がありそうな気がします。