ごきげんよう。きいです。
ずいぶん昔の話を思い出しました。
ある障がいのある利用者様へ、2つの訪問看護ステーションが支援に入る事になった時の話です。
ご家族は
その方は最重度の障がいの判定を受けていて、24時間ヘルパーが入り、訪問看護も毎日2回入っていました。
元々入っていた訪問看護ステーションから「毎日2回の訪問が回らなくなりそう」とヘルプの依頼がありました。
その利用者様に初めてお会いし引継ぎを受けた後、看護師さんが言いました。
「支えすぎて失敗したと思っているケースなんです。」
その方には同居のご家族がいらっしゃいました。
「医療のことは良くわからない」
「一家の柱が重病にかかり、これからどうして良いか分からない」
「24時間介護をするなんて、できません」
それに対して、訪問診療・相談員・ケアマネ・訪問看護・ヘルパー・訪問入浴・福祉用具専門支援員が結束して支援した結果。
ご家族はオムツ交換も吸引も栄養の注入も。
何もしなくなりました。
利用者様だけが、医療機器と支援者に囲まれ、24時間見守られて生きています。
ご家族は同じ家の中でも、別の空間で暮らしています。
寝たきりの状態ですが、毎朝着替えをし、リクライニング車椅子へ移乗して好きなTV番組を観ます。
オムツ交換の度に、リフトを操作してベッドへ戻ります。
人工呼吸器も装着しているので、移動中は一人がバギングをしないといけません。
吸引も2人がかりです。
それだけの支援者を確保することに、とても苦労している裏事情もありました。
とても大変な介護が毎日展開されていました。
「医療と介護はプロに。家族は愛情を注ぎます」とご家族は仰っていたそうなのですが…。
「ご家族にとっては、これが愛情なんだそうです」と悔しそうな看護師さん。
最期はご家族と支援者に見守られ、息を引き取られましたが…。
やろうと思えば…
支えすぎとか。
家族が担うべきところまで、支援を求められることに応じてしまうとか。
無理を押し通そうとするとか。
やろうと思えば、どこまでもできちゃうから。
どこかで線を引いた方が良いこともあるのでしょうね。
「無理です」とは言えなくても。
「無理があることを、私達はしようとしているのかもしれませんよ」とお伝えすることはできるかもしれない。
そこが難しいところです。