ごきげんよう。きいです。
前回<実態調査の結果!>で、どれだけの人が病院へ救急搬送され、受け入れてもらえるまで何回医療機関へ照会を行ったか?その際の滞在時間は?受け入れを断られた理由は何だったのか?という厚生労働省がまとめた実態調査の結果を、誰でも見ることができるという事をご紹介しました。
そこでお伝えしたように、私にも救急車を要請し救急搬送のサポートをした時に、15回目の要請でようやく受け入れてくれ、それまでに1時間半かかったという経験があります。
その時に、病院からどんな質問をされたのか。なぜ受け入れてもらえなかったのか。
そこからは救急搬送についてだけではなく、在宅療養の現実が見えてくるかもしれません。
記憶を頼りに
その時のことを「確か、こうだったなぁ…」「確かあんなことを話していたなぁ…」という記憶を頼りに振り返ってみました。
話は長くなります。何度かに分けてお伝えしたいと思いますので、申し訳ありませんがご了承下さい。
その利用者様をAさんとします。
Aさんは80歳近い女性で、市営住宅で一人暮らしをしていました。
持病のために若い頃からステロイドを長期内服されており、転べば骨折。ぶつければ皮膚が壊死を起こすというお身体の状況でした。
多数の関節は変形し、何度も手術を受け、福祉用具や自助具を使いこなし、ケアマネやヘルパーの支援を受けながら在宅療養を続けていらっしゃいました。訪問看護の利用が開始になったのも、タンスにぶつけた足が壊死を起こし、処置が必要になったためでした。
私は東日本大震災のあの揺れを感じた瞬間、Aさんの自宅にいました。
ベッドサイドに座った状態の、Aさんの足のむくみ具合を確認している時でした。私は〝Aさんがベッドから落ちたら骨折をしてしまう!〟と必死で、その身体を支えていたのを憶えています。
その数年後のある日、Aさんは台所で転倒してしまったのです。
私が訪問の予定時刻に到着すると、いつもベッドサイドに座っているAさんの姿が見えませんでした。
「きいさん?」
台所から声が聞こえました。昼食を食べ終えて、片づけをされているのかと思ったのですが、Aさんは床に倒れていました。
「転んじゃった…。動けないの。多分骨が折れてると思う…」
足を少しでも動かせば大腿に激痛が走るけれど、動かさなければ我慢できると話されます。
今までの人生で7回目の骨折なのだそうです。この状態で1時間半、私が来るのを待っていたと聞きました。携帯電話はベッド上に残っていました。
会話はできて意識レベルは清明。バイタルサインは血圧がいつもより高め。
頭はぶつけておらず、「転んだと思ったとき、足がグシャッっていう音がした」とのこと。
頓服の痛み止めを内服して頂き、私はすぐに119番をコールしました。
救急車の到着は早かったんです。5分程度で到着し、私から救急隊へ状況を報告。Aさんの持病やかかりつけの病院についてもお伝えしました。
救急隊はまず、かかりつけの病院へ連絡を入れました。
主治医は整形外科の医師です。
速やかに受け入れて下さることを願ったのですが、そんな時に限って「主治医はオペ中」。そして病棟は満床…ベッドの空き無しです。
それを知ったAさんの表情が見る間に曇りました。
「自分はかかりつけの病院のいつも入院する病棟でないと、とても困ったことになるのだ。食事や着替えにも特別な気配りが必要になる。入院できればどこでも良いわけではないのだ」と救急隊の隊長さんに伝えていました。
主治医はオペ中
隊長さんは「他にかかった事のある病院はありませんか?」と質問。
私がAさんの指示で、診察券や保険証、お薬手帳などをまとめたポーチをバックから取り出し、隊長さんへ渡しました。
病院の救急外来へ連絡をする隊長さん。それを見守るAさん。
そして待機する隊員さんから、私は声をひそめて質問されました。
「この方、ご家族は?」
「独居の方です。県外にお姉さんがいらっしゃいます」
「すぐに来られそうですか?」
「がんで手術をされたばかりのはずです」
「他には?」
「お姉さんの近くに甥っ子さんがいらっしゃると聞いたことがあります」
「そうですか…」
その隊員さんはスッと私から離れ、隊長さんの方へ報告に向かいました。
隊長さんは、電話の合間にその話を聞き、Aさんへ直接確認しました。
「Aさん。近くに御身内の方はいらっしゃるの?」
「姉は△△県に住んでいます。いつも来るときは甥っ子が車で連れて来てくれるの…」
Aさんは冷静に、しっかりと会話ができていました。
そう。この時はまだ冷静だったんです…。
…つづく…。