ごきげんよう!きいです。
私達家族が4000万円を受け取れなかった話は、とても長くなりました。
当時は家族みんなで(それなりに)頑張ったんですけどね。
だから、父へ「もう打つ手がない」と伝えに行ったとき。
父は「そうか。」とだけ言いました。
父は思ったほど悔しがりませんでした。
「自分のために家族が動いた」という事実があったためか?とも思います。
今思えば、まりぃさんが認知症と診断されたことを報告した時も、同じように「そうか。」と言ったように思います。
父は悲しいことがあると「そうか。」という人だったのかもしれません。
4000万円を手に入れていたら?
もし、父が4000万円の給付金を手に入れていたら、今私達家族はどうなっていただろうかと考えてみました。
父は既に特養に入所していて、大金を手に入れても使い道がありませんでした。
特養を出て、高級な有料老人ホームに移り「きい様のお父様」と呼ばれて、自立を求められるのもどんなものか?
父がそれを望むようには思えません。
もし父の口座に入金された大金を使って、一戸建ての新築のすてきな家を買っていたら?
その後認知症になるまりぃさんによって、大変なことになっていたかもしれません。
それに大金を持つまりぃさんは、あっという間に詐欺の被害に遭ってしまいそうです。
今のまりぃさんは、自分の食べかけのご飯ですら、人に分け与えようとするのですから(問題行動!)。
なんだかんだで、お金を失っていたかもしれません。
もし、兄のえい君のためにそのお金を使うことができていたら?
心臓移植は「適応外」と言われたけれど、お金に物を言わせて移植をしたか?
それでも数年後に、えい君は癌でなくなってしまう訳で…。
じゃあ、癌の素晴らしい治療を受けられたのか?と考えると。
癌が見つかった時には、既に「ステージ4」だったし(涙)。
私が手にしていたら?
じゃあ、巡り巡って私の手に入っていたら?
どうしていたかなぁ?
まりぃさんの介護が辛かった時に、仕事を辞めていたかも知れないな。
そしてまりぃさんを看ながら、在宅療養になったえい君を受け入れてダブル介護になって。あ、父の介護も入れたら、トリプル介護か?
そして介護と生活のためにお金は無くなっていき、お金が無くなったらまた復職していたかもしれない。
それとも、介護に疲れ果てたり、まりぃさんの認知症の進行や、父とえい君を失った心の痛みやらで、私自身が病んでしまっていたかも知れない。
いろいろ考えると、4000万円。
手にすることができなかったけれど、手に入れていても失うことになっていたお金だったのかも知れないなと思いました。
手に入れられなかった悔しさと、失ったときの悔しさは、どちらの方がより悔しいんだろうか?
私は〝失う方〟が後悔したり、家族を恨んじゃいそうな気がしました。
だから。
4000万円が手に入らなかったこと。
結果オーライと言う事にしておきます(笑)。