ごきげんよう。きいです。
最近、利用者様とそのご家族が何でもかんでも依存してくるケースや、本人の様子・ご家族の思いを明確にしてくれないケースなどが増えている印象があります。
そのためにケアに携わる人々が、右往左往することに。
だけど、その結果の提案を利用者様・ご家族は受け入れない。
水面下の苦労だけが繰り返される。
そんな時、思うんです。
「この方たちは、他者の介入や支援を必要としていないのではないか?」
ぶっちゃけ、「私達は必要とされていないんじゃないか?」と思うんです。
私達支援者は「この方々が困った状況に陥らないように、支援しなくては!」と躍起になります。
だから利用者様・ご家族は「困った状況を知らず、それをどうやって問題解決しないといけないのか?」を考えることが無いから、経験してこないから、おかしなことが増えて来るのかな?と思うのです。
「知らなかった」
「聞いたことが無かった」
「今まで目を背けて来た」
それでも何とか成り立つのは、老後問題と介護問題だけじゃないかしら。
他の生活のこと…例えば、就労すること・食べるものを手にすること・安全な生活の場を確保すること・子供を産み、育むこと。それは「知らなかった」では成り立たない。
なぜ、老後問題と介護問題だけが「知らなかった」で、なんとかなってしまうんだろう。
なんだか、その原因を作っているのが「私たちの方にあるんじゃないか?」
そう思うようになりました。
「自ら何もしなければ困る状況に陥る体験」
「それが嫌なら、自分たちで何とかする方法を考える経験」
「時には失敗もする経験」
それが何らかの形で必要なのかな?と考えたりします。
これも私の個人的見解です。