ごきげんよう。きいです。
昨日、<看護の時間>を書いていて…。
<「私たちにも、そうさせる原因があるのではないか?」…それは散々振り返って来ました。>という文言を書いていて。
ある友人が言った言葉を思い出しました。
「ハラスメントに遭っても、看護師は〝奉仕の精神〟があるから自分に責任を感じたり、我慢してしまう傾向があるのではないか。」
「奉仕の精神」と検索してみると。
奉仕の精神を持つこととは、他人や社会のために尽くす心のあり方を指します。自分の利益や欲求に囚われることなく、誰かの役に立ちたいという思いを持ち、実際に行動に移すことです。
奉仕の精神を持つことは、自己中心的な考え方を捨て、他者に寄り添い、助けることを大切にすることを意味しています。他人に対して思いやりを持ち、無償で自分の時間や力を提供することができる人は、社会的な価値を高める存在となります。
奉仕の精神は、個人的な成長や幸福感にも繋がると言われています。他者のために尽力することで、自分自身も満足感や喜びを得ることができるのです。そうした積極的な心の持ち方は、人間関係の向上や社会貢献にもつながります。
等々…。そのように書かれておりました。
看護師を目指すという時点で、「誰かの役に立ちたい」という気持ちを持っているのだと思います。
そして看護教育を通して「相手を理解しようとする」「自分を振り返る」「常に改善を目指す」という事を求められ、看護展開を繰り返します。
そうして看護師として成長していきます。
それができないと「看護師として問題あり」という評価を受けることになります。
そして今回、ハラスメント云々について考えたとき。
「奉仕の精神にも、ほどほどにした方が良いケースがある」と思います。
別に看護教育に歯向かうつもりはないのです。
ただ、「怒らせた自分が悪い、自分に非がある」という考え方は危険を伴うように思います。
冷静に「自分に向けて発せられた言葉や態度は、人として・大人として・常識的にどうなのか?」を評価する力も育てていかないといけないと思います。
医療や介護の支援者も一人の人間であり。
利用者様とご家族様も一人の人間であり。
平等なはずなんです。
サービスを提供する・利用する・そこにお金もかかってくる。
だけど、誤解させてはいけないと思うのです。
私達は「家族だけでは大変な〝在宅での医療と介護〟を支援する存在」であって。
「困りごとをお金で請け負う業者」ではないのですから。