ごきげんよう!きいです。
今日は、特養「N」で訪問診療医の先生とお話をしてきました。
先生が利用者様を診察している間、私は面会ブースでまりぃさんと面会。
まりぃさんは、一足先に診察を受けていました。
その診察の時に、先生に具合を聞かれたのか、長谷川式(認知症の検査)的な何かを行ったのか?
まあ、今日のまりぃさんは「分からん」を何度も何度も繰り返します。
私を見ては「誰や分からん」
面会ブースにいる理由も「なんや分からん」
外に見える景色の中に、人の姿が見えると「何やってるか分からん」
一緒にいる間に、いったい何度繰り返したでしょう…?
毎回毎回付き合うのは疲れるので、最後には「分からなくても大丈夫よ…」と答えていた私。
これが毎日繰り返されたら、たまったものじゃありません。
今日もまたまた「スタッフの皆様に感謝!」の気持ちが強くなりました。
医師の診察が長引いているのか、面会時間という名の待機時間が長くなってくると、いつものようにまりぃさんは「特養Nの基本理念」を読みだしました。
私はその中に、今までにない変化を感じました。
そこに書かれている文言の読み方がおかしい時があるのです。
生活者と共に…と書かれている文字を「せいかつものとともに…」と読む。
携わる…が読めない。
敬う…も読めない。
そういえば前回の面会の時に、Sさんから「塗り絵が単色で塗りつぶして、腺からはみ出している」と聞いたんだった。
一緒に住んでいた時には、こんなに綺麗に塗れていたのに。
脳ってどんどん機能が落ちていくんだな…としみじみ感じました。
特養Nの理念が理解できず、また「何のことやら分からん」と言い出し始めたので、アクリルボードに貼ってある「ここでの飲食はお控えください」というプレートなら理解できるかと注意を引いてみました。
すると、読めて意味も理解できましたが。
今度は「お金がない」が始まりました。
そして「今、何でここにいるのかが分からない」と言い出しました。
この言葉には、返答に困りました。
「家にいたら危ない目に遭う」そう言おうかと思ったときに。
スタッフのNさんが「まりぃさんが、分からなくて困っているから、ここにいるんだよ」と言ってくれました。
するとまりぃさん…。あっさり納得。
すごいな。この言葉は私には出なかった。
そんな様子のまりぃさんですが、気持ちが荒れたりすごく不安が強い様子はありませんでした。
でも、「何も分からない。分からなくなっていくこと。」それって苦しんだろうな…不安なんだろうな…と感じました。それでも何とか頑張って周囲の様子に自分なりに合わせようとしているまりぃさんが、今日はなんだか健気に思えました。
そうしているうちに、診察を終えた医師が診察室?と思われる部屋に入っていくのが見え、私もそこへ呼ばれました。
長くなってしまったので、先生と話した内容は…次回へつづきます…。