分かっていることを求められる苦しさ

在宅介護

 ごきげんよう。きいです。

 今日仕事が終わって、ふと考えたこと。人と人って、分かり合うことがこんなに難しいのに、どうして介護をする家族には当たり前のように求められるんだろう?ということ。

 家族が何をどれくらい食べて、飲んで、排泄をして。いつ眠って、いつ起きて。夜中に何回トイレに行ったか?いつ、どの薬を内服したか。痛みや不快はどれくらいの強さなのか?

普段何を思っているのか?今後どうしていきたいと思っているのか?

「そんなの知らない」って言えたら…。どんなに楽だろう?

台所で思いを馳せる

 今日も訪問看護のお仕事。在宅療養されている方々のお宅を訪問して、体調を確認して、処置をしたり一緒に身体を動かしたり。ご家族のいらっしゃる方、おひとり様…。

いろいろではありますが、皆さん無事に過ごされていました。

 私は帰宅後に家で台所に立ちながら、あの方は今日どうだった、この方はこうだったと振り返ることが良くあります。

 だけど今日はなぜだか違った。

 利用者様の介護をしている、ご家族のことを思い返していました。

 きっと利用者様はみんな大きなトラブルが無く過ごされていたから、思考の矛先がご家族に向かったのかもしれません。

 私は訪問に伺ったときに、利用者様の体調を確認するために、そして治療や体調維持が上手くいっているかを把握するために、ご家族からお話を伺いました。

 “利用者様が何をどれくらい食べて、飲んで、排泄をして。いつ眠って、いつ起きて。夜中に何回トイレに行ったか?いつ、どの薬を内服したか。痛みや不快はどれくらいの強さなのか?”

あたりまえのように聞いていました。記録用紙の空欄を埋めながら…。

 だけど、それに対して「そんなの知らない」という返事は、誰からも返ってこなかった。

 いつ何をどれくらい食べて、水分をどれくらい飲んだのかも把握して。

 訪問診療での先生とのやり取りも、「内服できないことを先生に相談した結果、こうなった、ああなった…。」みんなしっかり返事が返ってきた。

 すごいなぁ…。えらいなぁ…。

 そのすごさ。どれだけの人が自覚しているんだろう。

 私達看護師は、そのことを当たり前と思っていちゃいけないんじゃないか?

どれだけすごいことなのかを、きちんと受け止めないといけないんじゃないか?

 そう思いました。

 なぜすごいのか?それは「求められると辛くなることを、やっているから」だと思ったんです。それを皆さん、やってのけていた。

辛いと思いながらやっているのか、それとも自然にできているのか。

それも私達看護師は見極めないといけないな、と思いました。

私だったら…。

私は認知症の母を介護する娘として、思います。

私だったら、毎回聞かれると苦しくなりそうって。

「なんで私がそこまで母のことを分からないといけないのですか?介護をするなら、分からないといけないのですか?」ってきっと思う。

人のことを分かろうとするのって、すごくパワーがいること。

勝手に出かけようとするまりぃさん。夜に冷蔵庫を覗いているまりぃさん。尿とりパットを何枚も汚したり、トイレを詰まらせるまりぃさん。自分で正しく薬を飲むことができなかったまりぃさん。

毎日支えるだけでも大変で、目を背けたいときもあるのに、向き合わないといけない。知りたくないこと、聞きたくないことに向き合わないといけない。

その苦しさ。

認知症の介護では特に、他の病気の介護よりもこの〝〟苦しさ〟が強いように感じています。

「そんなの知らない」って言えたら本当に楽なのに。

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