三途の川は見えましたか

介護の現実

ごきげんよう!きいです。

 ちょっと気になったから、兄に聞いてみました。

「三途の川とか、それらしきものって見えたの?」

そんな質問をする妹って、失礼かしら?

兄の返事 

 兄は別に笑いもせず、怒りもせず「別に見えなかったけどなぁ…」と答えました。

 そうなんだ…。

 見えなかったのなら、兄の命は、ギリギリではなかったのかも知れません。

お迎えも来ていなかったんだろうなと思いました。

 実は、訪問看護の利用者様の中には「何度も危険な目に遭ってきたけれど、奇跡的に回復して今に至る」という方が稀にいらっしゃいます。

 そんな方が話して聞かせて下さる話の中には、やはり「三途の川を渡り損ねた」であったり、「目の前に広がる花畑を歩いていたら停車しているバスに乗り遅れてしまった。バスには亡くなった両親や親せきなどが乗っていた」などのエピソードがあります。

 つい先日、伺ったのは「気が付くと、一面の麦畑に立っていた。急にベルが鳴って一両編成の電車が自分を置いて出発してしまった。置いて行かれた寂しさがこみ上げてきたら目が覚めて病院のベッドの上だった」というお話。

 何人もの方から「自分だけが置いて行かれた・残されてしまった」そして目が覚めたら「病院だった」という話を伺ってきました。

 私はこの話を信じています。

 あの世とか、極楽浄土とか天国とか。様々な名前で呼ばれる「亡くなった後に向かう場所」は、きっと本当にあるのだと思っています。

 そこに強くいきたいと願っている訳ではありませんし、そこへ行くためにああしよう、こうしようという思いがあるわけでもない。

「きっと、亡くなった後には行くべきところがあるんだろうな」と思う程度なのですが、それでもなんとなく「次がある」と感じることができて、ちょっと安心。

兄の場合もそんな何かを見たのかと思いましたが、「別に見えなかったけどなぁ…」ということなので…。

本当に「お迎えが来なくて良かった」と思いました。

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