「もうひとり」について考えてみた。

uncategorized

 病気の治療にかかる金額や2025年問題に思いを馳せながら、私が考えていたこと。
それは<今日はふたりで?>の、もう一人って誰?ということ。

 訪問した利用者様は、高齢女性。
私と一緒に訪問したように思えた存在が、本当にあったのなら。
そしてそれが男性だったら…。
 きっと「その男の人、誰?」と聞いてくるような気がする。

 だから、兄でも父でもTさんでもない(笑)

 「だれか、女性だったのかな?もしかしたら、私がお看取りをした方なのかな?」
なんて考えたり。

 そして、私がお看取りをした方…。
 多すぎてわからないや。

「ついてる」

 私…。病院で勤務していた頃は、よく「ついてる」と言われたものでした。
出勤すると誰かしらが急変していたり、救急搬送された方がいたり。
 高確率で、お看取りに当たるという看護師は「ついてる」と言われます。
 今もそれは変わらないのかな?
 私もその一人で、一時は看護助手さんに「お払いに行っておいで」と言われたことも…(行かなかったけど)。
 先輩は「結婚するか、妊娠したら外れるよ」と教えてくれました。
あまり本気にせず、「そうなんだ…」程度に考えていました。

 だけど本当に、結婚をきっかけにそれはぱたりと無くなりました。
その後は私の1年後輩が「ついてる」人になりました。
本当に不思議。

「呼ばれる」

 今の職場では「ついてる」ではなく「呼ばれる」と言います。
長いお付き合いになった利用者様が逝かれるとき。メインで看ていた看護師がご家族からの呼吸停止の連絡を受けることがよくあります。
 たまたま緊急待機当番の日だったり、たまたま空いている時間で事務所にいたり。

 それ以外にも、他のスタッフが呼吸停止の連絡を受けたときに「メインで長く看たスッタフと一緒に見送ろう」という配慮でお声がかかることもあります。

 緊急待機の経験が浅いスタッフが連絡を受けたときには、サポートとして同行することもあります。

 利用者様と、スタッフの双方から呼ばれることがあるので、その頻度は高まります。

 「人は生まれる時と亡くなるときを選ぶことができる」と聞いたことがあります。
 本当かどうかは分からないけれど。

 それは誕生日の当日や翌日だったり、お孫さんが留学から帰ってくる日だったり。
 事前に家族へ「ありがとう」とお礼を言ったり「俺は明日逝く」と宣言をされる方もいらっしゃいます。「もう寝ますね」とわざわざ挨拶をされることもあります。

 家族がそろった昼間を選んだように逝く方もいらっしゃいます。

 もし「きいさんが当番の日に」と少しでも思って頂けたのだとしたら、それは光栄なことです。

 看護師生活が長くなると、いろいろ経験します。
 だから怖くないんです。

 お別れが近づいている時は、看護師としての務めがいっぱいあります。

 ご本人が苦痛を感じていないか。苦痛があればその除去に努めます。
 ご家族に不安はないか。あればその解消に努めます。
 最後の瞬間とその後の時間、皆様にとって悔いの残らないように支援します。 

 だから怖がっている暇もありません。


 結局、いろいろ考えた結果「二人目の人に心当たりはない」という結論になってしまいました。

 スタッフの中に数名、霊感の強い人がいますが、その人たちが私を見て何も言わないので大丈夫だと思っています。

 ということで。引き続き利用者様の今後の病状を、経過観察させて頂くことにします(笑)。

タイトルとURLをコピーしました