ごきげんよう。きいです。
兄は時々台所に物を取りに行く以外には、殆どを自室内で過ごすようになりました。
またそのほとんどの時間はベッドの上で横になって過ごしています。
そんな時間が過ぎる中、私は兄に聞きました。
「まりぃさんに会う?」
臥床生活
兄の体調はさらに低空飛行ですが、それがふわふわと上昇したり、下降したり…。
私は兄の床上生活に不便が無いように環境整備を続けています。
TVのリモコンやスマホが手に届くところに置けるようにと、ベッド柵へカゴを取り付けたり、楽に水分が飲めるようにとストロー付きのペットボトルキャップを買って試してみたり…。
内服薬は錠剤が兄の大きな手からこぼれ落ちることがあり、お猪口程の小さなガラスの小皿に薬を開ける方法が良いようです。
いろいろ「上手くできない」ことが増えています。
リモート面会
私はふと「兄が、まりぃさんとは『あんた、病気なん?』と聞かれた時以来会っていない」ということを思い出しました。
他にも誰か、会っておきたい人とか声が聴きたい人とか、いるんじゃないかって考えたのです。
それに対して兄は「会ってもなぁ…」と。
あまり気乗りしない様子です。
兄はこの状況であっても、未だに余命宣告は受けていません。
自分の命があと僅かという自覚があるんだか無いんだか…。
「体の調子が良くないのは事実。だけどそのうちまた調子は戻るだろう」と思っているようです。
調子が悪いのは一時的なものだと考えている兄に、「最後の別れは要りませんか?」とは聞けません。
「まあ、会うって言っても、リモートだしね。画面に映っている私達を見ても、面会じゃなくって『TVに出演しているのか?』くらいに思われるかもね」のような事を言って話は終わりました。
まりぃさんにとって、息子が自分より早く亡くなろうとしている現実を知らされないということは、どうなんだろう?と時々思います。
自分が決めた「兄の病気に関することを、まりぃさんには伝えない」ということ。
それはまりぃさんにとって幸せなのか。不幸なのか。
私は「息子の病状を受け止めることができない、介護ができない状況の元である〝アルツハイマー型認知症になったこと〟は、間違いなく不幸」だと思います。
まりぃさんが認知症になっていなかったら、絶対に兄に張り付いて介護をしていたはずなんです。
それができたはずなんです。