ごきげんよう。きいです。
兄のえい君が亡くなって、もう1年も経つんだなとしみじみ思います。
長かったような、短かったような。
一周忌も無事に終えることができました。
あれから1年。兄を思い出すことはしょっちゅうあります。
街中で、えい君によく似た姿の男性を見かけると、今でも一瞬ドキッとします。
スーパーやコンビニの駐車場でよく似た人を見かけることが多くて。
でも、悲しくはないです。
病室で
兄はあの日。怠そうに横たわってはいましたが、苦しそうではありませんでした。
「橈骨動脈で脈が触れなくなりました」と病院から電話を受け、駆け付けたときは呼吸もまだ規則的でした。
頸動脈ではまだ脈に触れることができたので、「迷惑だったらごめんね」と思いながらも、度々首に触れました。
兄の身体には、心電図の電極も点滴のラインも何もついていません。
天気は雨で、病室の窓を伝う雨粒を目で追ったりもしました。
兄の持ち込んだDVDは、まだ存在に気が付いていなかったので、床頭台の上に置かれたままでした。
亡くなる直前まで耳は聞こえると言います。
何を言っても兄は反応を返しませんでしたが、私の方から勝手に耳元で中島みゆきの曲を流したり、親戚の方がLINEで送ってくれた動画の「琴電の走る音」を聞かせたりしました。
呼吸のリズムが変わった時、ベッドサイドのナースコールを押しました。
来てくれた看護師さんが兄の手に触れたとき、兄の呼吸は止まりました。
そんな静かな最期でした。
最後に私が掛けた言葉は「お父さんが待っていてくれてるよ」でした。
それからはバタバタと多忙な時期を過ごし、兄の片付けを手伝い…。
空っぽになった兄の部屋は、職場から近いのですけれど。
その後、一度も足を運んではいません。
私のエンディングノート
兄の終活を手伝い、自分も家族に迷惑をかけないように、しっかりしないと!と思っているのに…。
私のエンディングノートはまだ未完成です。
実際に書いてみると、ただ字を書き込めば良いという訳にはいかないことに気が付きました。
やはりきちんと整理して、いらないものは処分して、優先度も考えないといけません。
「エンディングノートを作るには、よく考えることが求められる」という事がわかりました。
やはり「元気なうちに終活に取り掛かっておかないと、不本意な結果に終わるかもしれない!」ということも実感しました。
安心して逝くために。
逝った後…風になったり、イケている姿で遊びまわったりできるように、人生の宿題はさっさと終わらせておいた方が良いんだろうなと思います。