ジェンダーレス介護?

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 ごきげんよう。きいです。

 数日前。TVの情報番組で、ジェンダーレストイレ問題が取り上げられているのを拝見しました。
そう言えば、その前にもジェンダーレス徒競走とやらが物議を醸していたような…。
 就労現場も、教育現場でも…何やらいろいろ大変です。

 結局、あれはどうしようとしているの?
 どうあろうとしているの?

 対処の方向性自体が間違っているような気がしてなりません。
上手く言えないけれど…。

時代のせい?

 集団の中で、「権利に関わること」に上手く対処しようと思っても、上手くいかないのは今までもよくあったことで。
 体格や性別や、学習能力や経済状況が、個人個人異なることって当たり前のことであって。

 ジェンダーレスという事も、周囲が「それもそうだよね」と思うだけじゃあダメなのかしら。
個人の特性に、社会や環境がそんなに歩み寄ってあげないと、だめなのかしら?

 私は今までにも書いてきましたが、身長が146㎝です。
それでも、体育の授業のハードルの高さは、みんなと同じでした。
走る距離も、飛ぶ高さもみんなと同じでした。
 みんなより早く走れなくても、高く飛べなくても「そんなものだ」と思ってきました。
私が飛んだハードル。私より体格に恵まれた子が飛べなかった時には「きいが飛んでるのに、なんでお前が飛べないんだ?」と、先生が言ったことがありました。
それが許されたのは、時代のせい?

電車の車両。女性専用車両がある路線もできましたが。
男性専用車両と女性専用車両と高齢者専用車両と子供専用車両。すべてを分けることができないように、ジェンダーレス問題に100%歩み寄るのって難しいことなんだと思います。

 私は電車のつり革も「高いな…」と思えば、手すりにつかまります。
近くに高齢者やお子さん、妊婦さんがいれば、席を譲ります。

 おしゃれなお店のカウンター席に座ろうと思うと、椅子が高すぎて危険を感じることもあります。だから待ち時間が長くなってもテーブル席へ座ります。
そうやって対処すること。

当たり前だと思っちゃダメなのかしら。

近い将来

 話題になるのも数年前から急に増えましたね。
それまでは、そうでもなかったように思います。
同性婚を認める・認めないという話がきっかけだったように思います。

 私…別にいいと思うんですけど。同性婚。
別に結婚って、子供を産むためにするものじゃないでしょう?
「夫」「妻」という括りを無くしちゃえいい。
「世帯主」がどちらかを決めるだけでいいんじゃないのかな。

 近い将来。
要介護の男性を、男性が介護していたって別に不思議じゃないし。
要介護の女性を、女性が介護していたって別に不思議じゃないし。
そこに愛はあるんかい?って、あれば良いじゃないですか。

愛の無い夫婦が、介護を放棄している方が問題だと思う。

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