まりぃさんをみて感じたこと

母の介護

 ごきげんよう!きいです。

 この週末。まりぃさんの面会に行って来ました。

 玄関に入った私を、面会ブースで待っていたまりぃさん。

 担当ケアマネのSさんはお休みのようで、時々面会に同席して下さる男性スタッフのEさんと一緒に座っていました。

 きっと、ついさっきまでEさんが「娘さんの、きいさんが来てくれますよ」と耳元で叫んでいてくれたんだろうな~と思うのですが(笑)。

 まりぃさんは私を指さしながら「あんたが、きいちゃんやね?」と聞いてきました。

 …まあいいや。

 そして以前の面会の時には「今はここが私の居場所!」と穏やかだったのですが…。

 今回は「お金がないから、私はここでお勤めをしないといけないと思うのだけれど…。ルールが分からないのよ。」
「何にも分からないの。だから、色々教えてちょうだいね」と、何度も繰り返しお願いをしては、Eさんへ頭を下げるのです。

 あらら…。

 この「お金がない」モードのまりぃさん。
久し振りな気がします。

 Eさんが「お金の心配はいらないよ。まりぃさんのお金は、ちゃんときいさんが預かっていてくれるよ」と耳元で話しかけると「本当に?ごめんね。身内だからね。ありがとうね~」と涙を流します。

 だけど数分後には、また〝お金がないから働くしかない私〟を何度も繰り返します。

 ひとしきり話し終わるまでは、私の言葉もEさんの言葉もなかなか耳に届きません。

 まりぃさんの言葉が切れる、息継ぎのタイミングを見計らって話しかける必要があります。

 そして数分後に同じ話…。

 またまた実感しました。
「今のまりぃさんが家に帰ってきたら、私と家族はダメになる。」

 こんな状態のまりぃさんを、家に1人で置いておくことはできません。

 私が仕事を続けられない事態が目に浮かび、家から抜け出して徘徊するまりぃさんを探し回ったあの時の気持ちが沸き上がって来ました。

 娘も国家試験を目前にして、ピリピリしています。

 きっと気圧がいつもと違う日だったことも関係しているかもしれませんが…。

 そんなことに振り回される毎日が辛くて辛くて、今に至っている事を思い出しました。

 今でも「徘徊しなくなったまりぃさんなら、家で看れるかも?」と考えることがあります。
のど元過ぎれば…ってヤツでしょうか?

 だけど…。

 息継ぎを見計らって、話しかけないといけないとか。

 数分間サイクルで、同じ話が繰り返されるあの苦痛とか。

 排泄のトラブルだとか。

 自分に「現実を見ろ!」と言い聞かせた、有意義な面会になりました。

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