ごきげんよう!きいです。
ようやくデイサービスへ通うところまで話が進みました。ああ、良かった。
だけど、これでもまだ母の介護は、スタートを切ったばかりなのです。
家にまりぃさんがいる時には、ハチャメチャなことが起きてくるわけで、それを乗り越えて行かないといけないのです。ドラマチックなことは無いのに、衝撃の展開は日々発生!
これからはそんなまりぃさんとの生活や出来事について、あんなこともあった、こんなこともあった…と書いていきます。
そしてもう一つ…私が、認知症家族としての経験から感じたこと、訪問看護師として思う事も書いていきます。
これはまさにまりぃさんの介護を通して実感したことです。すべての方に当てはまるものではないとご理解の上、「ああ、そういう考えもあるよね…。」と気楽に読み進めて頂ければ幸いです。
介護っていつまでつづくんだろう…。
今回はタイトルを「今後のこと」としました。
私、ふと考えたんです。まりぃさんの介護って、いつまで続くんだろうって。
<介護保険の申請をする!~前編~>で書かせて頂いたように、
・可能な限り自宅での生活を続けて認知症が重度になったら特別養護老人ホームへの入所を検討する。
・介護離職をせず、仕事を続ける。
・日中独居になってしまうために、週に何度かデイサービスを利用する。
…と、まりぃさんの在宅生活の方向性を考えていました。
しかし、まりぃさんにデイサービスへ通ってもらいながらでも、仕事を続けることって本当に大変です。
自分の時間が無いし、気と身体が休まる暇がない。定時で帰れる仕事でもなく、緊急事態があれば利用者様のお宅へ真夜中でも駆け付けなくてはいけない日が月に3~4日はあります。
そんな時でもまりぃさんはマイペース。私一人がイライラしてしまいます。
例えば、私が利用者様の緊急コールで夜に出動する時の話。まりぃさんが夕食を食べ終わっていなければ、そのまま置いて行くことになってしまいます。
帰宅して目にするのはテーブルの上に広がる食べたままの食器と、着替えもせず歯磨きもせずベッドに大の字になって眠るまりぃさんの姿…。
食器を片付け、まりぃさんを起こすべきかそのまま寝かせておくべきかをしばし悩み…。
結局口の中だけはきれいにしておきたくてまりぃさんを起こし、迷惑がられた上に眠気が抜けたために暫くTVとお付き合い。眠気が失せてしまったのならと、今更ながらトイレへ連れて行ったりパジャマへ着替えたりして…。
永遠に続く心と体の疲労…。
そんな時は、今日あった大変なことや、今日感じている心と体の疲労が、永遠に続くようにすら感じてきます。
明日のこと、明後日のことを考えていてもやりきれない毎日。
好きな本を読んでいても集中できなかったり、寝落ちしてしまったり。
美味しいパン屋さんで買ってきたパンも、いつものコーヒーもなんだか味気ない…。
そんな時は、何年も先のことを考えてみるようにしています。
まりぃさんは年齢からして、10年後にご存命かどうか…。もしご存命だったとしても、認知症が進行したり転倒して骨折するようなことがあれば、寝たきりになっているかも。
もしそうなっていたら…あれ?
まりぃさんに施設に入ってもらうんじゃなかったっけ?
ご存命ではない場合には、もちろんまりぃさんはこの世に存在しない訳で、あの世で一番イケている時代の姿になって駆けまわったり、父と再会を果たしているかも知れない…?
そうやって考えると、少し肩の荷が軽くなるような気がするのです。
認知症の介護って、本当に先が見えない。だから私が生きている間、ずっとまりぃさんを看ていなきゃいけないような気がしてしまいます。
そんな馬鹿な。
私がうっかり早死にしてしまわないように注意する必要はあるけれど、その前にはまりぃさんはあの世で父と再会している筈なんです。
10年後と書いては見たけれど、もっと早いかも知れないし。
母の死や重症化を望んでいるのかと、不謹慎だと思われるかも知れません。
でもこれって、介護をして来た人だから許される、お別れの心構えなのではないかと思うのです。
介護ってその人のエンディングをコーディネートすることも含まれていますよね。
だからこそ重症化や死についても、正々堂々と考えていきたいと思うのです。
私はそうやって、日々生きています!